【靖国参拝違憲訴訟】
2005年10月25日更新
小泉首相の靖国参拝を巡って、東京、千葉、大阪(2件)、松山、福岡、那覇の全国6地裁で7件の違憲訴訟が起こされた。現在(2005年10月)までに地裁の判決は出そろい、福岡訴訟のみ確定。ほかは控訴され高裁で4件の判決が出ている。
これまでの裁判
首相の靖国参拝を争った裁判としては、1985年に中曽根首相が公式参拝したことについて、3件の損害賠償請求訴訟が起こされた。いずれも請求は退けられたが、1992年2月、福岡高裁は首相が公式参拝を繰り返すならば違憲となることを指摘、1992年7月の大阪高裁判決では「宗教的活動にあたる疑いが強く、憲法に違反する疑いがある」と判示した。また、これに先立つ1991年、「岩手靖国訴訟」で仙台高裁が、天皇や首相の公式参拝を「明確な宗教的行為」として、明確な違憲判決を下している。(参考ページ:靖国神社Q&A)
原告の損害賠償請求は棄却されているものの、「違憲の疑いが強い」「違憲だ」という判断がすでに何度も出ており、靖国参拝に対する司法判断は違憲が主流と言える。(参考:靖国神社参拝問題-共同通信))
小泉首相参拝訴訟
*大阪地裁判決(一次) 04年2月27日(村岡寛裁判長)
「参拝によって原告が宗教上の不快な感情を持ったことは理解できる」としたものの、憲法判断には踏み込まず、原告の損害賠償請求は退けた。争点になっていた参拝が「公的」か「私的」かについて「参拝は総理大臣の資格で行った公的参拝」と認定した。
*松山地裁判決 04年3月16日(坂倉充信裁判長)
参拝が私的なものか公的なものかの判断も行わず、賠償請求も棄却した。
*福岡地裁判決 04年4月7日(亀川清長裁判長)
慰謝料の請求については棄却した。一方、「小泉首相の参拝は職務の執行に当たる」と指摘した。さらに、従来の政教分離訴訟で判断基準とされてきた「目的効果基準」に基づくなどの綿密な検証を行った結果、首相の参拝は憲法違反であるとの結論を導いた。原告側が控訴しなかったため、判決は確定した。
*大阪地裁判決(二次) 04年5月13日(吉川慎一裁判長)
原告の損害賠償請求を棄却、憲法判断を回避したうえで、同様の訴訟で初めて参拝を私的なものとする判断を示した。原告は旧日本軍の軍人・軍属として戦死した台湾先住民族の遺族や日本人の宗教関係者ら。
*千葉地裁判決 04年11月25日(安藤裕子裁判長)
首相の参拝の性格について、公用車を使ったり、「『私人』であると発言したことはなく、記帳や献花にあえて『内閣総理大臣』の肩書を記載した」ことなどを踏まえて「外形的に職務行為にあたらないように配慮して行動した形跡がうかがえない。客観的にみて職務にあたる」と認定した。しかし、憲法には踏み込まず、慰謝料請求も退けた。
*那覇地裁判決 05年1月28日(西井和徒裁判長)
参拝による法的利益の侵害はないとして、訴えを退けた。焦点となる参拝の合・違憲性や公的か私的かについても判断しなかった。
*東京地裁判決 05年4月26日(柴田寛之裁判長)
小泉首相に加えて石原慎太郎東京都知事の参拝も対象として争われた。柴田裁判長は「公私の区別をあいまいにしたまま参拝にこだわる首相らの言動は、過去の侵略戦争を肯定するメッセージと原告らが受け止めたことは理解できる」と述べたものの、「参拝による権利侵害は認められない」と賠償請求を却下した。合憲・違憲の判断、参拝が公的か私的かについては触れなかった。原告には、肉親が日本の軍人・軍属として徴用され死亡し、承諾なく同神社に「英霊」としてまつられている人ら在韓原告が加わっていた。
*大阪高裁判決(一次) 05年7月26日(大出晃之裁判長)
原告の請求を退けた大阪地裁判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。憲法判断は示さなかった。
*東京高裁判決 05年9月29日(浜野惺裁判長)
参拝の3、4年後に首相が「個人として行った」と述べたことや、「8月15日の参拝を断念して13日に私的に行うこととした」「私費で献花代3万円を支払った」ことなどを根拠として「参拝は公的でない」と判断、その他の論点には踏み込まずに原告側の控訴を棄却した。
*大阪高裁判決(二次) 05年9月30日(大谷正治裁判長)
小泉首相の参拝をめぐる訴訟としては高裁段階で初の違憲判断を示した。判決は、参拝は「総理大臣の職務としてなされたものと認めるのが相当」と判断。さらに、参拝は客観的に見て極めて宗教的意義の深い行為であったと認定し違憲と結論付けた。一方で、信教の自由などの権利が侵害されたとは言えないとして、賠償は認めなかった。原告は上告せず、判決は確定した。
*高松高裁判決 05年10月5日(水野武裁判長 - 紙浦健二裁判長代読)
「不快の感情を持ち、そのようなことがないように望むのは心情として理解できないではない」と一定の理解を示したが、「首相の参拝は、原告に強制力を及ぼしたり不利益を課したりするものではない」と権利侵害を認めず、原告側の控訴を棄却した。憲法判断には踏み込まず、公的か私的かという参拝の性格にも触れなかった。
| | 参拝は公的か私的か | 憲法判断 | 賠償請求 |
大阪地裁(一次) | 04年2月27日(村岡寛裁判長) | 公的 | − | × |
松山地裁 | 04年3月16日(坂倉充信裁判長) | − | − | × |
福岡地裁 | 04年4月7日(亀川清長裁判長) | 公的 | 違憲 | × |
大阪地裁(二次) | 04年5月13日(吉川慎一裁判長) | 私的 | − | × |
千葉地裁 | 04年11月25日(安藤裕子裁判長) | 公的 | − | × |
那覇地裁 | 05年1月28日(西井和徒裁判長) | − | − | × |
東京地裁 | 05年4月26日(柴田寛之裁判長) | − | − | × |
大阪高裁(一次) | 05年7月26日(大出晃之裁判長) | − | − | × |
東京高裁 | 05年9月29日(浜野惺裁判長) | 私的 | − | × |
大阪高裁(二次) | 05年9月30日(大谷正治裁判長) | 公的 | 違憲 | × |
高松高裁 | 05年10月5日(水野武裁判長) | − | − | × |
違憲判決
2004年4月7日、福岡地裁(亀川清長裁判長)は小泉首相の靖国参拝は明確に違憲とする判決を下した。
判決ではまず、「小泉首相の参拝は職務の執行に当たる」と指摘。参拝は「公的」なものであると認定した。引き続き、従来の政教分離訴訟で判断基準とされる「津地鎮祭訴訟」最高裁大法廷判決(1977年) が示した「目的効果基準」に基づいて、参拝の行われた場所、その行為に対する一般人の宗教的評価、行為者の意図・目的、一般人に与える効果・影響などを検討し、厳格に適用。これにより、「社会通念に従って客観的に判断すると、憲法で禁止されている宗教的活動に当たる」と結論づけ、首相の参拝は憲法20条が規定する政教分離原則に違反する、と認定した。
この判決は靖国神社への玉ぐし料などを県費で支払うことを違憲と判断した「愛媛玉ぐし料訴訟」の最高裁判決(1997年)が示した厳格な要件も踏襲したと言える。
2005年9月30日には大阪高裁が、小泉首相の参拝をめぐる訴訟としては高裁段階で初の違憲判断を示した。
大阪高裁判決は、(1) 参拝は、首相就任前の公約の実行としてなされた、(2) 首相は参拝を私的なものと明言せず、公的な参拝であることを否定していない、(3) 首相の発言などから参拝の動機、目的は政治的なものである、などと指摘し、「総理大臣の職務としてなされたものと認めるのが相当」と判断した。
さらに、参拝は客観的に見て極めて宗教的意義の深い行為と認め、国内外の強い批判にもかかわらず参拝を継続しており参拝実施の意図は強固だったとして「国は靖国神社と意識的に特別のかかわり合いを持った」と指摘した。「国と靖国神社との関わり合いが、我が国の社会的・文化的諸条件に照らして相当とされる限度を超える」と踏み込み、「目的・効果基準」に照らし、「憲法20条3項が禁止する宗教的活動にあたる」と、明確に違憲と結論付けた。
論理に欠ける小泉首相
福岡地裁判決を受けた7日夜、首相は記者団の質問に「私的な参拝と言ってもいい」と語り、公私の区別をあえてあいまいにしてきた従来の姿勢を転換させた。違憲判決を受けて、政府見解に沿った表現に修正した形である。
首相はこれまで参拝について「内閣総理大臣である小泉純一郎として」と語り、参拝の記帳も「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記してきた。その一方で、一連の参拝をめぐる訴訟で政府側は「首相の参拝は私的参拝」と主張、公私の別はあいまいだった。
判決後、首相は「おかしいねえ。なぜ憲法違反かわからない」と述べ、記者団の質問には「わかりません」と16回も繰り返した。民主党の菅代表(当時)は「首相は判決に限らず、自分が気にいらないことは分からないと言う人」と批判した。
靖国神社の戦争観
「日本の平和と繁栄は戦争の時代に生きて、心ならずも命を落とさなければならなかった方々の尊い犠牲の上に成り立っている。これからも日本が平和のうちに繁栄するように参拝しました」 小泉首相は参拝ごとに、この様な発言を繰り返す。しかしはたして靖国神社が「心ならずも命を落とした犠牲者の死」を悼む場所としてふさわしいのか、改めて整理する。
靖国は「侵略と軍国主義の精神的支柱」。平和遺族会はこう指摘する。実際、戦前の日本では国家神道に事実上の国教的な地位が与えられ、神社への参拝が強制された。その国家神道の要が靖国神社だった。靖国神社は軍の宗教施設としての性格を持ち、国家神道の中心施設として戦意を高揚し鼓舞する役割を果たした。靖国神社が戦争遂行の原動力のひとつとなり、犠牲者を増やしていたことは動かしがたい歴史上の事実である。
では現在ではどうか。
「(当時)日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかった」
「(戦争責任者=A級戦犯は東京裁判で)一方的に“戦争犯罪人”というぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた……」
(神社発行のパンフレットから)
靖国神社は一宗教法人となったいまも戦前の歴史を断ち切ることなく、「大東亜戦争」に至った日本の道は正しかった、避けられないものだったと説く人々の、精神的な支柱となっている。
|