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靖国神社Q&A


目次

靖国神社とは何ですか
靖国神社は何を目的としているのですか
誰が祀られているのですか
ひめゆり学徒なども祀られているそうですが?
平和を願って参拝するのに問題があるのですか
公式参拝は憲法に違反するでしょうか(司法の判断は?)
目的効果基準に照らして合憲ではないのですか?
私的参拝ならばどうですか


Q. 靖国神社とは何ですか
A.
 1869年(明治2年)に「明治天皇の深い思召(おぼしめし)によって」(靖国神社略誌)、東京招魂社として建立されました。靖国神社と改称されたのは明治12年です。戦前の国家神道体制においては陸・海軍省所管であり、天皇と国家のために死んだ戦没者を軍神として奉る軍事的宗教施設でした。現在は一宗教法人となっていますが国家護持を目指す法案が提出されるなど戦前体制の復活を目論む動きもあります。靖国神社の性格も基本的には戦前と変わっておらず、欧米ではその性格から「War shrine (戦争神社)」と呼称されています。

Q. 靖国神社は何を目的としているのですか
A.
●軍国主義普及と戦争推進の精神的支柱
●「戦争犠牲者の慰霊」ではなく「『英霊』の鎮魂と礼賛」
●「天皇陛下を中心に立派な日本をつくっていこうという大きな使命」(靖国神社ホームページより)を持つ

 現在、靖国神社は「戦争犠牲者を悼むための場所」と誤解している人も多いようです。しかし二義的にそのような目的も存在しうるでしょうが、本質としては「国家による戦争で戦死した軍人を、国家の英雄として祭祀すること」が主たる目的となっています。またそれは「兵士の志気を高め国家による戦争を推進すること」が最終的な目的であると言えます。それは戦前も戦後も一貫して変わっていません。

 この本質を正しく捉えれば「戦争を二度と起こしてはいけないという気持ちで戦没者に敬意と感謝の誠をささげたい」と言う小泉首相の発言はかなり的外れであり、むしろ中曽根元首相の「国に殉じた人を国民が感謝するのは当然のこと、さもなくばだれが国に命をささげるか」なる発言が本質を表していることが分かります。今後も国家が戦争を起こせば無条件で国家に命を捧げて戦う兵士を確保することが靖国神社の存在意義なのです。

Q. 誰が祀られているのですか
A.
●天皇と国家のために死んだ軍人・軍属
●「靖国神社に祀られている神さま方(御祭神)は、すべて天皇陛下の大御心のように、永遠の平和を心から願いながら、日本を守るためにその尊い生命を国にささげられたのです。」(靖国神社ホームページより)

 戦前、祭祀は軍によって「天皇のための名誉の戦死」とみなされたものが天皇の「裁可」を経て決定されました。戦後、靖国神社は一宗教法人となり神社自身で合祀者を決定していますが(ただし名簿作成には政府・厚生省などが協力・提供していた)、上にも示したように未だに「天皇」が重要なキーワードになっています。

 小泉首相は参拝前、「(A級戦犯が合祀されているからと言って参拝を反対されるが)死者に対してそれほど選別しなければならないのか」と述べました。しかし実態は靖国神社こそが死者を厳しく選別して祭祀しています

 祭祀は「天皇(国家)に命をささげて戦った」ことが前提となっています。従って西南戦争で天皇の軍隊に歯向かったことになる西郷隆盛らは祀られていません。もちろん空襲などの犠牲になった一般国民も祀られません。さらに軍人であっても戦って死んだのではなく病気で死んだ場合、「特旨をもって合祀」となっていて、本来ならば病気で死んだのは犬死だから靖国神社の神さまになる資格はないのだが天皇の特別のお恵みをもって神さまに祀るのだとして差別されているのだそうです(参考サイト)。さらに被差別部落出身者への差別もあるそうです(参考サイト)。

 戦没者が「平和を願いながら」「日本を守るために」死んでいったという、先に挙げた靖国神社の説明が実体とかけ離れていることは明かです。このような詭弁によって人々を無為の死に追いやり「英霊」と祭り上げる悲劇を繰り返さないことが戦後の日本人の努めでしょう。

Q. ひめゆり学徒なども祀られているそうですが?
A.
 たしかに靖国神社ホームページには「軍人ばかりでなく、女性の神さまが57,000余柱もいらっしゃいます。みなさんと同じくらいの少年少女や生まれて間もない子供たちも神さまとして祀られています」と誇らしげに書かれています。沖縄の「ひめゆり部隊」「鉄血勤皇隊」、魚雷攻撃で沈没した対馬丸に乗っていた疎開に向かう700人の小学校児童などが祀られているそうです。しかしアジアの犠牲者はもちろん、空襲で亡くなったり原爆の犠牲になったりした戦争犠牲者の大多数が祀られているわけではありません。靖国神社に合祀される人とされない人の選別基準はあいまいで説明されていません。

 ひめゆり学徒隊が祀られたのは、犠牲者の名簿を作成し厚生省に遺族年金を申請したところ、名簿が靖国神社に渡され「陸軍軍属」として合祀されたものです。しかし靖国神社の説明とは異なり、生き残ったひめゆり同窓生からは「『国のために潔く散っていった』のとは絶対に違う。本当はみんな最後まで生きたかった」との声が聞かれます。最近では石川護国神社に「大東亜聖戦大碑」と刻んだ石碑が建てられ(2000年8月4日)、「少年鉄血勤皇隊」「少女ひめゆり学徒隊」の名が勝手に刻まれたことに抗議の声があがりました。ひめゆり同窓会の理事は「まったく聞いていなかった。あの戦争が聖戦などというばかげたことをなぜ主張するのか。腹が立って仕方がない」と話しています。

 また日本の植民地支配下にあった朝鮮・台湾出身の軍人・軍属約5万人も合祀されていますが、多くは遺族にも知らされず勝手に祀られたもので、合祀取り止めを求める訴訟が起こされています。

 勝手な基準で、遺族の意志さえも無視し無断で合祀を行う靖国神社の行為は、死者をさらに傷つけるものです

Q. 平和を願って参拝するのに問題があるのですか
A.
●靖国神社参拝は、本人がいくら平和を願うつもりでも、結果としてすべての戦争犠牲者を冒涜する行為です

 戦争犠牲者を悼み、平和を誓うことに異論がある人はいないでしょう。しかし靖国神社がそもそも戦争犠牲者を悼んだり、平和を願う場所としてふさわしくないことは「何を目的としているのか」でも述べたとおりです。

 靖国神社は現在でも「避けられない自衛のための戦争だった」「アジア解放の聖戦だった」「アジア全体の繁栄を目的としていた」といった戦前と同様の歴史認識を持った人たちの拠り所となっています。侵略戦争推進の政治的責任者であるA級戦犯についても「東京裁判は勝利国側の報復であり、A級戦犯は存在しない」(靖国神社パンフレットより)としています。このように靖国神社は侵略戦争を美化しているわけですが、そこへ参拝しておいて「第2次世界大戦を美化したり、正当化するつもりはない。非難する心情が分からない」という小泉首相の発言はあまりにも認識が足りません。

 靖国神社の主張や性格がどうあれ、小泉首相は平和を願って参拝したのだから良いではないか、という意見があるかもしれません。しかしただ戦争犠牲者を悼んだり平和を願いたいのならば、無理に靖国参拝という形にこだわる必要はないはずです。それでもこだわりたいと言うのならば、「靖国神社がどういう性格を持つか」という形にもこだわるべきです。


Q. 公式参拝は憲法に違反するでしょうか(司法の判断は?)
A.
●首相・閣僚の靖国公式参拝に関する司法判断は、違憲(ないし違憲の疑い)が主流

 そもそも憲法の重要な柱となっている政教分離原則は、戦前の国家神道体制への反省の意味があります。靖国神社は国家神道体制のシンボル的存在でした。

 公式参拝に対する司法判断の流れを以下に整理します。

 「1985年の中曽根康弘首相(当時)の公式参拝」に関して福岡と大阪で訴訟が起こされ、92年の高裁判決でいずれも確定しています。1992年2月18日、福岡高裁は、首相が公式参拝を繰り返すならばそれは、靖国神社への「援助、助長、促進」となり違憲となることを指摘しました。さらに1992年7月30日、大阪高裁は、中曽根の行った公式参拝は一般人に与える効果、影響、社会通念から考えると宗教的活動に該当し、違憲の疑いが強いと判示しました。

 参拝推進派が司法判断について正反対の結論を導き、そのデマまがいの情報を流布するケースが見られます。一例を挙げましょう。曰く「中曽根康弘元首相の靖国神社公式参拝(昭和六十年八月)を審理した大阪地裁、福岡地裁などでも、公式参拝を違憲とする原告側の訴えが退けられた」「(これらにより)『首相の靖国参拝』が合憲であるという法的な判断は定着している」(産経新聞2001/08/01付「主張」より)。不思議なことに上述した上級審(高裁での審理)には触れていません。ちなみにこの一審の判決は公式参拝を合憲としたものではなく、憲法判断には踏み込まないまま、原告が信教上不利益な取り扱いを受けたことによる損害賠償(慰謝料)の請求を退けたものです(損害賠償請求を退けたのは二審も同じ)。

 中曽根公式参拝に関する直接の裁判ではありませんが、靖国神社にささげる玉ぐし料の公費支出と、天皇や首相らに靖国神社への公式参拝を求めた県議会の決議の合憲性を問うた「岩手靖国訴訟」がありました。1987年3月の第1審(盛岡地裁)では合憲判決でした。しかし1991年1月10日の仙台高裁の判決は「津地鎮祭訴訟」最高裁判決(77年)が違憲性判断の物差しとして打ち出した「目的・効果基準」を踏まえながら、「天皇、首相の公式参拝は、目的が宗教的意義を持ち、特定の宗教への関心を呼び起こす行為。憲法の政教分離原則に照らし、相当とされる限度を超えるものと判断せざるをえない」と明確に違憲と断じました。県の上告を最高裁が却下しているので、この裁判は、この高裁の判決をもって確定しています。従ってここで示された憲法判断は現在も重要な意味を持ちます

 「愛媛玉ぐし料訴訟」では愛媛県知事が靖国神社の例大祭に玉ぐし料を県費から出したことが問われました。この裁判で最高裁は愛媛県知事の靖国神社への県費支出を違憲と判断しました。15裁判官中、合憲としたのは2人だけで、これは政教分離裁判で最高裁の出した初の違憲判決でした。

愛媛玉ぐし料訴訟
1989年 3月−第1審 (松山地裁) 違憲
1992年 5月−控訴審 (高松高裁) 合憲
1997年 4月−上告審 (最高裁) 違憲
Q. 目的効果基準に照らして合憲ではないのですか?
A.
 目的効果基準(あるいは津地鎮祭訴訟最高裁判決)は公式参拝合憲の根拠として公式参拝推進論者がよく引き合いに出します。本当にそれは根拠になっているのでしょうか。

 目的効果基準とは何でしょうか。これは国(政治)と宗教の関わりにおいて、その目的(宗教的か習俗的か)や効果(特定の宗教への助長あるいは圧迫にならないか)を判断して、社会通念上、政教分離の原則を逸脱しないと認められるものについては容認されるという法律論です。現在、政教分離を巡る裁判の多くはこの考え方に従っています。

 政教分離をめぐる裁判では「津地鎮祭訴訟」が現在でも重要な判例として引用されています。これは地鎮祭に対して自治体が関与した(市体育館起工式への公金支出)ことの憲法上の是非を問われたものです。最終的に最高裁まで争われました。

津地鎮祭訴訟
1967年 3月−第1審(津地裁)合憲
1971年 5月−控訴審(名古屋高裁)違憲
1977年 7月−上告審(最高裁)合憲
 この裁判で初めて「目的効果基準」という考え方が導入され、地鎮祭は「宗教的儀式でなく一般的慣習」と判断されています。

 実際のところ目的効果基準自体がまだ明確に定まったものではなく、適用すべきかどうか、適用するならばどこに線引きをするのか判断が分かれています。とは言え、いずれにせよ靖国神社の問題に対して厳密に考えるべきだというのが司法でも学界でも主流となっていると言えます(91年の仙台高裁判決では「目的効果基準」を踏まえながらも公式参拝に違憲の判断を下しています)。体育館建設の地鎮祭と靖国神社参拝を同列にして、後者も合憲であるという参拝推進派の主張はいかにも論理に飛躍があります

Q. 私的参拝ならばどうですか
A.
 小泉首相は2001年の参拝にあたり「総理として、個人として参拝する。総理大臣の肩書は消せない」として自らの参拝が公式か私的かには明言を避けていました。公式と言えば問題になるのは分かっているし、かといって公式参拝を求める人たちにもいい顔をしたい、という計算があったのではないかと思われます。しかし、実際に参拝してますます批判の声が大きくなり、全国で訴訟が相次ぐ中で政府は「あれは私的参拝だった」と言い訳を始めています

 それはともかく、首相は24時間首相である、という部分には賛成です。もちろん首相にも信教の自由等、個人としての権利はあります。しかし首相や自治体の首長などは公人としての立場が大きな比重を占めています。社会的影響の大きさを考えれば公人として十分に慎重な行動をとる義務があります。首相の純粋な私的参拝というのはあり得ないのではないでしょうか。「天皇、首相の公式参拝は、憲法の政教分離原則に照らし、相当とされる限度を超えている」(91年、仙台高裁)との判断と考えあわせると、首相は参拝すべきではありません


 参考:小泉首相 靖国参拝違憲訴訟をめぐる情況(2004年10月追加)


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