石原慎太郎の言動録 -この危険な政治家を監視する- |
【1967年】
「憲法9条は改正すべきだ」「核開発は必要だ」
(自民党入党会見で)
【1977年】
「これを書いたのはIQが低い人たちでしょう」
(熊本に水俣病視察に訪れ、患者らが手渡した抗議文について)
【1981年】
弟で俳優の裕次郎氏が倒れた際、小笠原諸島から自衛隊機で帰京し問題に。燃料代は160万円。
【1982年】
総選挙の時、東京2区で同じ自民党候補として対立する新井将敬氏のポスターに、第一秘書が「’66年北朝鮮より帰化」というシール3000枚を張って回り、現行犯逮捕
→その後の発言
【1987年】
「小網代港の魚網はヨットの邪魔だから運輸大臣任期中に取り除かせる」
(12月19日 ヨットマンたちの合同忘年会での席上で)
【1990年】
「日本人が南京で大虐殺を行ったといわれるが、事実ではない。中国人が作り上げたお話であり、うそだ」「あなた方(米国人)こそ、日本に原爆を落とし、20万から30万人を殺したではないか」
(米誌プレイボーイ10月号でのインタビューで)
→【石原慎太郎の歴史観】
【1997年】
5月6日 尖閣諸島に上陸した西村眞吾議員らに同行。船には自動小銃2丁、砲弾30発、銃弾1800発を搭載。
【1999年】
都知事選に2回目の立候補、当選。「私はシナという言葉を使っているが、これは偏見からではない。そもそもは孫文が作った言葉。なぜ日本人がシナという言葉を使ったらいけないのか」
(3月10日、都知事選出馬会見で)
「中国の人が屈辱に感じていることを知らなかった」
(4月13日 中国をシナと表現したことについて共同通信のインタビューに答えて)
「ああいう人ってのは人格あるのかね」「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」
(9月17日、重い障害のある人たちの治療にあたる病院を視察したあとの記者会見で)
「斉唱を中止するいわれはない。嫌なら出ていきゃいい」
(10月1日 都功労者に対する表彰式で、君が代斉唱に反対して退席した男性に対しての感想を定例会見で聞かれて)