【靖国参拝違憲訴訟】
小泉首相の靖国参拝を巡って、東京、千葉、大阪(2件)、松山、福岡、那覇の全国6地裁で7件の違憲訴訟が起こされた。現在(2004年9月末)までに4件の判決が出ている。
これまでの裁判
首相の靖国参拝を争った裁判としては、1985年に中曽根首相が公式参拝したことについて、3件の損害賠償請求訴訟が起こされた。いずれも請求は退けられたが、1992年2月、福岡高裁は首相が公式参拝を繰り返すならば違憲となることを指摘、1992年7月の大阪高裁判決では「宗教的活動にあたる疑いが強く、憲法に違反する疑いがある」と判示した。(参考ページ:靖国神社Q&A)
原告の損害賠償請求は棄却されているものの、「違憲の疑いが強い」「違憲だ」という判断がすでに何度も出ており、靖国参拝に対する司法判断は違憲が主流と言える。(参考:靖国神社参拝問題-共同通信))
小泉首相参拝訴訟
*大阪地裁判決 2月27日(村岡寛裁判長)
「参拝によって原告が宗教上の不快な感情を持ったことは理解できる」としたものの、憲法判断には踏み込まず、原告の損害賠償請求は退けた。争点になっていた参拝が「公的」か「私的」かについて「参拝は総理大臣の資格で行った公的参拝」と認定した。
*松山地裁判決 3月16日(坂倉充信裁判長)
参拝が私的なものか公的なものかの判断も行わず、賠償請求も棄却した。
*福岡地裁判決 4月7日(亀川清長裁判長)
慰謝料の請求については棄却した。一方、「小泉首相の参拝は職務の執行に当たる」と指摘した。さらに、従来の政教分離訴訟で判断基準とされてきた「目的効果基準」に基づくなどの綿密な検証を行った結果、首相の参拝は憲法違反であるとの結論を導いた。
*大阪地裁 5月13日(吉川慎一裁判長)
原告の損害賠償請求を棄却、憲法判断を回避したうえで、同様の訴訟で初めて参拝を私的なものとする判断を示した。
| | 参拝は公的か私的か | 憲法判断 | 賠償請求 |
大阪地裁(一次) | 2月27日(村岡寛裁判長) | 公的 | − | × |
松山地裁 | 3月16日(坂倉充信裁判長) | − | − | × |
福岡地裁 | 4月7日(亀川清長裁判長) | 公的 | 違憲 | × |
大阪地裁(二次) | 5月13日(吉川慎一裁判長) | 私的 | − | × |
違憲判決
2004年4月7日、福岡地裁(亀川清長裁判長)は小泉首相の靖国参拝は明確に違憲とする判決を下した。
判決ではまず、「小泉首相の参拝は職務の執行に当たる」と指摘。参拝は「公的」なものであると認定した。引き続き、従来の政教分離訴訟で判断基準とされる「津地鎮祭訴訟」最高裁判決(1977年) が示した「目的効果基準」に基づいて、参拝の行われた場所、その行為に対する一般人の宗教的評価、行為者の意図・目的、一般人に与える効果・影響などを検討し、厳格に適用。これにより、「社会通念に従って客観的に判断すると、憲法で禁止されている宗教的活動に当たる」と結論づけ、首相の参拝は憲法20条が規定する政教分離原則に違反する、と認定した。
判決は靖国神社への玉ぐし料などを県費で支払うことを違憲と判断した「愛媛玉ぐし料訴訟」の最高裁判決(1997年)が示した厳格な要件も踏襲したと言える。
論理に欠ける小泉首相
福岡地裁判決を受けた7日夜、首相は記者団の質問に「私的な参拝と言ってもいい」と語り、公私の区別をあえてあいまいにしてきた従来の姿勢を転換させた。違憲判決を受けて、政府見解に沿った表現に修正した形である。
首相はこれまで参拝について「内閣総理大臣である小泉純一郎として」と語り、参拝の記帳も「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記してきた。その一方で、一連の参拝をめぐる訴訟で政府側は「首相の参拝は私的参拝」と主張、公私の別はあいまいだった。
判決後、首相は「おかしいねえ。なぜ憲法違反かわからない」と述べ、記者団の質問には「わかりません」と16回も繰り返した。民主党の菅代表(当時)は「首相は判決に限らず、自分が気にいらないことは分からないと言う人」と批判した。
靖国神社の戦争観
「日本の平和と繁栄は戦争の時代に生きて、心ならずも命を落とさなければならなかった方々の尊い犠牲の上に成り立っている。これからも日本が平和のうちに繁栄するように参拝しました」 小泉首相は参拝ごとに、この様な発言を繰り返す。しかしはたして靖国神社が「心ならずも命を落とした犠牲者の死」を悼む場所としてふさわしいのか、改めて整理する。
靖国は「侵略と軍国主義の精神的支柱」。平和遺族会はこう指摘する。実際、戦前の日本では国家神道に事実上の国教的な地位が与えられ、神社への参拝が強制された。その国家神道の要が靖国神社だった。靖国神社は軍の宗教施設としての性格を持ち、国家神道の中心施設として戦意を高揚し鼓舞する役割を果たした。靖国神社が戦争遂行の原動力のひとつとなり、犠牲者を増やしていたことは動かしがたい歴史上の事実である。
では現在ではどうか。
「(当時)日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかった」
「(戦争責任者=A級戦犯は東京裁判で)一方的に“戦争犯罪人”というぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた……」
(神社発行のパンフレットから)
靖国神社は一宗教法人となったいまも戦前の歴史を断ち切ることなく、「大東亜戦争」に至った日本の道は正しかった、避けられないものだったと説く人々の、精神的な支柱となっている。
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